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「3位 老衰死」アメリカでは125位 どうして日本だけが増えていく?

2020/2/11
[ 地域医療を考える ]

「老衰」が死因の3位に

2018年 ついに「老衰」が死因の3位となりました。この報道をうけて、みなさんどのように受け止められたでしょうか? 平均寿命を超えて十分生きた、もう寿命かな、お迎えが来た、食欲がなくなり、動けなくなり、最後は眠るように安らかに……と、ドラマのように思い浮かべるでしょうか? 

かつては自宅で亡くなる方が圧倒的でした。ですから誰もが看取りの経過を体験し、死は身近なものでした。しかし戦後の経済成長とともに病院医療の高度化が進み、病院で死を迎える方が8割を占めるようになりました。さらに核家族化のため居宅での終末期の介護が困難になり、介護施設で死を迎える方も増えてきています。命のともしびが尽きるとき、人生の最期をどこで、どのように過ごしたいか、考えてしまいます。

出典元: 平成 30 年(2018) 人口動態統計月報年計(概数)の概況
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai18/dl/gaikyou30-190626.pdf

「死因」の決定は医師の裁量権? 国策によって変わる?

さて、死因の推移をみるとおかしなことに気がつきます。平成5→6年にかけて「心疾患」が激減しています。これは厚生省が死亡診断書の改訂を行い、「死亡の原因」欄に疾患の終末期の状態としての心不全、呼吸不全等は書かないように指導したためです。また平成28→29年にかけて「肺炎」が減少しました。これは「誤嚥性肺炎」を死因に追加したためです。死因とは厚労省の指導のもとに医師の裁量権で決定します。そういうものなのです。ですから、誤嚥性肺炎を肺炎に含めたままであれば、「3位肺炎」「4位老衰」となります。

出典元: 平成 30 年(2018) 人口動態統計月報年計(概数)の概況
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai18/dl/gaikyou30-190626.pdf
主典元: 死因統計分類の変更が人口動態統計に及ぼす影響について老衰死亡者数の年次推移
http://www.tokyo-eiken.go.jp/sage/sage20172/

では「老衰」という死因の推移をどうみるか? 昭和30年代前半までは、まだ「3位老衰」なのです。その後老衰は減少傾向となり、平成12年を過ぎてから急増しています。そうです「介護保険法施行」をきっかけに、つまり介護施設での死が増えたことから「老衰」がふえていると思われます。

口から食べられなくなったとき

高齢者数がこのように急減したり急増したりはしませんから、「老衰」が増えたのではなく、医師が死亡診断書に「死因;老衰」と記載するようになったと考えられます。高度成長とともに医療の場は「病院」にシフトし、救急医療・高度医療が拡充されてきました。わたしが医師として病院勤務の間、数多くの死亡診断書を書きましたが、「老衰」は1度も記載した記憶がありません。病院での死は、どんな高齢者であっても、心不全死であったり肺炎死であったのです。80代、90代の高齢者に、延命のため全力を尽くし、食事ができなければ「胃瘻造設」「高カロリー点滴」をすることがあたりまえ、肺炎を繰り返すようになれば「気管切開」し頻回に痰を吸引しました。点滴やチューブ類を抜かないように、手足をベッドに拘束したこともあります。

わたしが坂井輪診療所勤務となったのは平成7年、介護保険施行5年が経過していました。病院診療から離れ、診療所外来、在宅医療、特養嘱託医としての仕事、わたしの医療の場が「病院」から「生活の場」に変わったのです。在宅専門診療所ではありませんから、24時間持続の高カロリー点滴は難しく、治療内容が制限されました。しかしそれよりも、患者さん、家族の声を聴く機会が増え、何を望んでいるのか、その思いにできるだけこたえたい、そのように考えが変わっていったのです。治療の必要な肺炎は、短期間の入院治療をお願いします。しかし入退院を繰り返す中で、徐々に食べる力が弱ってきたときに、患者さん・家族の思いを聴きます。少量の末梢点滴をしたり、最後まで口から食べたいと食事内容を工夫したり、多くの方を在宅で看取ってきました。診療所勤務となり、初めて「死因;老衰」と記載することができたのです。

「老衰死」とは生物学的死?文化的死?

主典元: WHO ファクトシート 死亡原因トップ 10
https://www.japan-who.or.jp/act/factsheet/310.pdf

ところで人口10万人あたりの老衰死亡率(2015年)を比較すると、日本で男27.5 女82.0に対し、アメリカでは男1.2 女2.7と大きな開きがあります。老衰の死因順位は、日本で5位、アメリカでは125位以下でした。上記のWHOのデータからも、高所得国の死因は ①心筋梗塞 ②悪性腫瘍 ③脳卒中 ④アルツハイマー病なのです。つまり日本の医師と欧米の医師の診断書の書き方に差があるのです。欧米では「生物学的・医学的な死」としての老衰を老衰死とし、日本では「文化的・社会的な死」を老衰死と記載する傾向があるということです。

現実には老衰の終末期に「誤嚥性肺炎」が発症することもあり、つまりすでに嚥下能力が低下しているのに無理して食べさせようとする善意が誤嚥をきたし直接死因となることがあります。また老衰期の前には「認知症期」が先行し、家族が対応に困ることがことが少なくないのも現実です。したがってアメリカにおける高齢者の自然死は「認知症」→「老衰」→「誤嚥性肺炎」の経過をたどることが多く、死因は「認知症」と最終判断されることが多いのです。

「老衰死」を社会で支える

わたし自身は、日本人の多くが「老衰」を肯定的にとらえる文化があることから、死因としての「老衰死=自然死」が増えることは、超高齢化社会の訪れに相応しい判断ではないかと思っています。しかしそれだけにもっともっとていねいに、命の終末期を安らかに送っていただけるように、患者さんと患者を支える家族のために、医療者・介護労働者のみならず、多くの人々の協働によって、患者さんの終末期をささえるしくみをつくることが必要なのではないかと思います。藤村先生の書籍を読んで、改めて考える機会となりました。

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