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音のしない雷「網膜裂孔」体験記

2022/7/8
[ 高齢者の病気 ]

2022年6月13日、夕方仕事中、突然、雷が光りだす、青白い光が、目の前の空間がひび割れるかのように、上から視界の中央へ、右から視界の中央へ、何回も何回も繰り返す、音のない雷。ふと我に返り、右目を閉じると雷は和らいだ。しかし右目を開くと再び雷が、「これは目の異常だ、脳ではない」と認識し、視野の欠損がないことを確認した、「網膜剥離ではない」と。仕事を放りだすわけにはいかない、左目は正常に見えるから仕事は可能だ、とても疲れたが、音のない雷を感じながら、雷は40分ほどで消えた。どっと疲れた。急患センターには眼科がない、明日の仕事の合間に見てもらいに行こうと帰路に就いた。

雷の原因は「網膜裂孔」放置すると40%は「網膜剥離」に

6月14日午前の仕事を終えて、午後1時前に近所の眼科に間に合った。音のない雷は収まっていたが、目の前には不透明なリングのようなもの(ワイスリング:視神経乳頭周囲からはげ落ちた硝子体被膜の一部)がふわふわと浮いていた。それが邪魔で、運転中も前が良く見えない。「網膜裂孔」と診断された。「網膜に穴が開いている、放っておいたら穴が広がって網膜剥離になるかもしれない」と言われ、その場で光凝固術をお願いした。仕事に穴をあけてまで、翌日病院予約をするなど考えられなかった、左目は見えるのだから。目に麻酔をかけられ、頭を台に固定され、さらに後ろから抑えられた、頭を動かされないように。少しでも動かせばレーザー光線が的を外れ、大切な神経や血管を傷つけてしまうから、と頭の中で考えた。緊張のあまり気分が悪くなったが、なんとか無事終了した。一週間後の再来を指示された。

網膜裂孔の原因は「後部硝子体剥離」だれにでも起こる老化現象

治療の前後に簡単に説明を受けたが、いまいちよくわからず、自分なりに調べたことを記録する。眼球の中には「硝子体」という構造物が入っており、眼球の形を維持するために必要、確かに内部が空間だと、目を押したらペコペコとへこみますよね、当然網膜に焦点が合わずうまく見えなくなる。硝子体は、ちょうど卵の白身のように柔らかい無色透明なゼリー状の塊で、目の形を保ちながら光を屈折させて網膜に像を結ぶ役割があるという。ところが30歳をすぎると硝子体が液化変性し、硝子体は全体として前方へ縮んでいく、やがて後ろ側の網膜と接した部分から剥がれ、剥がれた後部硝子体皮質が網膜に映ると「飛蚊症」に見えるということだ。そういえば、ずいぶん前から飛蚊症はあったと思う。

40歳には「液化腔」が融合して大きくなり、硝子体後部に移動していく。硝子体はどんどん縮み、液化腔の後面、つまり後部硝子体皮質に穴が開き、漏れた液体が硝子体の後ろに流れ込み、硝子体は網膜から剥離していく。まさにわたしにとっては、年齢相応の老化現象に過ぎないわけだ。

後部硝子体剥離の自覚症状は「飛蚊症」が増えること。しかし10%が「網膜裂孔」を合併する、滑らかに剥離せず、網膜との癒着が強い場所があると穴が開くらしい。その網膜を引っ張る刺激が「光」に見えるのだそうだ。今思い出すと、音のない雷の数日前に、右目の外側に小さな光が見えていた、それが雷の前兆だったのかもしれない。

出典:改訂 眼の成人病より

雷はおさまらなかった そしてある朝、濃霧の中での生活に

6月16日午前の仕事を終え、お客さんとおしゃべりしているとき、二度目の雷が、頭がくらくらして、雷のためか、まぶしくて、目の前がゆがんでみえるようで気持ち悪くなった。あわてて一昨日診てもらった眼科医院に電話した。受付時間は午後1時まで、ぎりぎり間に合うかどうか? それなのに、いいですよ、診ますのですぐ来てください、と言っていただいた。病院ならこうはいかない、事前予約をとるだけで大変だ、ご近所のお医者さんは気さくに診てくれてありがたい。診察の結果、異常なし、また網膜が動いたのでしょうと言われ、一安心。しかし16日仕事帰りに、三度目の「音のない雷」が来た、今度は短かった。そして17日の朝が来た。

昨日までと違う、見たことのない風景が。小さな黒点が、無数に、すき間なく、視界全体に広がっていた。これはひどい飛蚊症だ、けれど全く見えないわけではない、自分なりに確認したが、視野の欠損はないようだ、つまり「網膜剥離」にはなっていない、大丈夫、と自分に言い聞かせて、仕事に出た。右目で見た曇り空は、雨が降るかのように暗かった。仕事へ向かう運転中に、四度目の雷が来た、目の前はさらに暗くなった。事故を起こさないように気をつけながら、仕事に向かった。

左目が見えるから仕事はできないことはない。しかし疲れる、右目に眼帯をしようかとも思ったが、片目では遠近感がつかめない。また眼科に電話しようかとも思ったが、昨日も臨時に受診し、「網膜が動いたんでしょう、異状ありません」と言われたし、きっとひどい飛蚊症なのだろうと考えた。正直なところ、受診を遠慮したというところもあったし、また仕事に穴をあけられないという気持ちもあり、そもそも「網膜裂孔」に光凝固をかけたときに一週間後の再来を指示されていたしと自分に言い聞かせ、様子を見ることとした。実はこれが間違いだったのだけれど。

予想していなかった結果が

おだやかな気持ちでいられるのは寝ている時間だけ。目が覚めれば、右目は薄暗い濃霧の中、視界全体が小さな黒点で占められている。一週間後は21日になるのだが、受付終了時刻の1時間前までに入るよう指示されていた。瞳孔を開くのに30分かかるからだ、その後にさまざまな検査を行う。午後1時の受付終了に間に合うためには午前の仕事を途中でやめねばならない、それはできない。午後も仕事があるし今日は無理だ、明日の午後は仕事をあけられるから、明日にしようと、一日延ばしにした。

6月22日、午後3時受付開始、10分前に受診した。受付にも、待合室にも誰もいない。そして一番で呼ばれ、10分ごとに3回の散瞳剤の点眼を受けた。そして診察室へ、先週金曜日からの視界の変化、しかし視野欠損はないことを伝えた。眼底を覗いた眼科医の緊張した様子を感じた、なにかあるな。前回よりも、時間をかけてていねいに診察された。そして「網膜の血管が切れて出血している、すぐレーザーで止血します」えっ?想定外だった。出血?自分の幼稚な知識では、硝子体出血や網膜出血は、出血した血管の周囲を中心に広がっていくもので、視界全体にみえる黒点がすべて出血とは想定外だった。出血は縮んだ硝子体後部と網膜の間の空間全域に広がったのだった、勉強不足を嘆いた。

前回の「網膜裂孔」のときよりも時間をかけて何か所も光凝固をかけたようだった。あとは経過を見るしかなかった。この間、禁止されていた運動、とくに上下の動きには注意したつもりだった。治療後の安静が不十分だったのか? 初回の光凝固後に3回の「音のない雷」つまり網膜を引っ張る刺激があったということだ。その2回目の翌朝に網膜動脈が破けたようだ。網膜裂孔周囲に光凝固をかけたものの、剥離が進み、その際に裂孔の近くにあった網膜動脈が傷つき出血したと説明を受けた。もっと早く受診しなかった自分を責めたが、まあ「網膜剥離」という最悪の事態に至らなかったことに感謝すべきだろうと考えた。

これからどうなるのだろう?このまま霞とゴミと生きていくのか

数日は全く変化がなかった、朝目が覚めれば薄暗い濃霧の中だった。3日ほどして、わずかだが、以前より明るくなってきた気がした。しかし空を仰げば、視野いっぱいに広がる無限の黒点と目の前の視野を遮るワイスリング。濃霧よりはましだが、遠くがボケて見える、靄の中にうかぶ無数のゴミたちが友達になった。薄暗い場所にいるときだけが、心落ち着く時間になった。

一週間後の6月29日夕方、眼科受診。いつものように30分かけて散瞳する。散瞳すると少しまぶしくて、焦点が合わなくてボケて見える。診察の結果、まだ出血はしているようだと、しかし眼球内にたまっている血液の塊は減っているらしい。「眼球内の汚れはどこからか吸収されるのですか?」と伺うと「房水…」と聞こえた。「房水?シュレム管からですか?」返事はなかった。

房水の役割

房水とは、角膜と水晶体の間と虹彩と水晶体の間を満たす透明な液体である。眼房水や目房水とも呼称され、眼圧や虹彩の位置の維持などの役割を持つ。毛様体や虹彩の血管から分泌され、瞳孔を経由して前眼房へ入り、隅角内の線維柱帯からシュレム管を通じて眼球外の静脈へと排出される(ウィキペディア)。

房水の主な役割は眼圧の調整である。眼球の形は眼球壁の張力と、硝子体・房水とのバランスによって維持されている。しかし、硝子体の大きさはほぼ一定しているため、房水の増減によって眼圧が変化する。また、血管が存在しない角膜や虹彩、水晶体、硝子体に栄養分を運び、老廃物を体外へと運搬する役割を持つ他、抗酸化物質として作用するアスコルビン酸の運搬も行っている。さらに、房水は光の透過経路の一部を担っているため、一定の屈折率が必要であり、一般的な房水の屈折率は1.336である。 また、分泌された房水は、硝子体腔から水晶体の周辺部分である赤道部と毛様体突起との間を経由して後眼房に流入する。後眼房からは、瞳孔を経て前眼房に流入する、とも記されている(ウィキペディア)。

房水は硝子体後部とつながっているのか?

硝子体の中心には「硝子体管」と呼ばれる管腔があるようだ。これはなに?

出典:ウィキペディア

胎生5週に、目の奥から硝子体動脈が伸びてきて、水晶体に栄養分を運ぶ。血管周囲に第1次硝子体が発生し、胎生6~8週には網膜から第2次硝子体が発生し第1次硝子体を内側へ押し込む。第2次硝子体はそのまま発育し、第1次硝子体は管状に圧縮され、硝子体管(クローケ管)になっていく。

「房水循環仮設」によれば、房水はクローケ管に入り、硝子体腔を横切り、視神経乳頭前方から硝子体ポケットまで流入するという。もしこの逆の流れがあれば、硝子体後部に出血した汚れは、房水と共に吸収されていくのかなと想像した。

出典:https://www.jstage.jst.go.jp/article/kmj/67/2/67_109/_pdf/-char/ja

飛蚊症と暮らす日々~慣れるしかない

7月6日、眼科受診。この頃には右目に映る黒点の数が多少は減ってきたようだ。明るさも増したようだ。しかし、黒点が減った分、背景の水が濁り、視界がぼやけて見えるようになった。濃霧の頃は、視界は暗かったが、わずかなすき間には透明度があった、今世界は、霞の中に無数の黒点が浮かんでいる。

出血は止まっているようだ、しかしまだ眼球内に血液がたまっているので、運動は禁止された。眠っているときは幸せである。たまに夢を見ても、視界に黒点はない、だから毎朝目が覚めた時が憂鬱だ。またいつもの風景から一日が始まる。まあ、そのうち脳が慣れてくるんだろうな~ という気持ちと、もし次に左眼の網膜に穴が開いたら両眼が霞目になるな~ と恐れている。でももっともっと不自由な人がたくさんおり、この程度で大騒ぎをしては申し訳ないと思う。

先週伺った「房水?」は聞き間違えだったかもしれない。クローケ管は胎生期の遺残物に過ぎず、硝子体内部には房水との交通はないそうだ。では出血はどこから吸収されるのか? それはわかりません、でもどこかから少しずつ吸収されると思います、と言われた。最悪、このまま右目から見える風景は変わらないかもしれないな~ と覚悟した。

老化現象とつき合いながら老いていく

老化はだれにでも訪れる現象であり、治す(若返る)ことはできない。わたしは40代前半に左突発性難聴を経験したが、仕事が忙しく放置した。右耳が聞こえれば何とかなると思ったのだ。しかし左耳は人の声は聞こえないのに耳鳴りだけはうるさい、しかしいつの間にか慣れた。今は老人性難聴が重なり、左耳は高度難聴に進み、ほとんど聞こえない。よかったはずの右耳も中等度難聴となり、マスク越しの人の声は聞こえない、聴診器も聞こえにくくなってきている。

歯も、足腰も衰えた。脳の衰えはすさまじい速さで進んでいる。そもそも平均寿命まで逆算すると、あと18年である。それまで生きていられるか否かもわからないが、日々心身の老化を実感し、しかし面白いもので、その中に新しい発見がある。それが興味深く面白い。若いころから、いろいろな病気を経験し、複数の手術も受けてきた。しかしそれらは急性疾患だから、のど元過ぎればで、そのときの苦痛は消えている。これからは消えることのない症状とともに人生のゴールへ向かっていく、次はどんなことがあるのかな? 自分なりに対応していくのみ。

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